高木麻早オフィシャルサイト

12月31日(水)

★感謝!ただただ感謝です!!



麻早です。

お誕生日をみなさまで祝って下さり、

本当にありがとうございましたm(_ _)m

嬉しくて・・胸がつまりました。

だって大晦日の忙しい日。

こんなにして頂くこと、初めてだから・・・

温かなお気持ちに感謝致します。

お誕生日はいくつになってもHAPPYな日です。

生きているってことですものね。

ちなみに、

母子手帳によりますと、

12月31日午後23時30分に生まれています。

紅白もトリってところでしょうか(笑)


さてさて、

今年は公私とも、いろんなことがありました。

考えることもありました。

決めることもありました。


でも、

決して悪いこと・・と・・言うのではなく、

素敵なご縁や大事な出逢いがある年でもありました。

まっすぐ生きていれば、

ご褒美は頂けると実感した年でもありました。


そして、

このページを通じて、みなさまと繋がったことも、

高木麻早はとても嬉しいことでした。


不器用で、心配性で、

消極的で、すぐパニクって、

世間知らずの私がこうやって頑張っていられるのも、

スタッフや友人をはじめとして、

いろんな方々が支えて下さっているから!こそ!です。

ただただ感謝しかありませんm(_ _)m


来年は、

嬉しそうに、

楽しく歌っている高木麻早を是非!見にいらしてください。


もうここまで来たら、はばかりまくって(笑)

淡谷のり子さん目指して行きます!!

ですから、

みなさまもどこまでも付いて来てください!


本当に今年もありがとうございましたm(_ _)m

来年もどうぞよろしくお願い致します。


みなさま、

どうかお体をおいとい下さり、良いお年をお迎えくださいませ。


そうですね。

良い年に決まっています!!



MASA TAKAGI







12月29日(月)

★恒例サンデーフォークプロモーション忘年会







座席表

総勢約130名。

班に分かれて、毎年クイズや早食い大会や面白い催しがあり、

楽しいですよ〜(^o^)v

私はもちろん早川班!




クイズ大会

サンデーフォークイズ(笑)




エレキテル連合?!

新入社員さんで〜す(笑)




お弁当早食い大会

コーラも飲み干すんです(^-^;

早川班〜バイトくん〜!!

吐きそうになりながらも…残念…


でも、早川班健闘して総合4位でした!!




12月24日(水)

★Merry Christmas!!



離れていても、同じツリーは見られます。(*^_^*)







12月17日(水)

★高木麻早『レコードを語る Vol.6』



3rdアルバム「TAKE A TEN MASA」1974年9月発売


「麻早」に続いてすぐ発売されていたんですね〜

レコーディングのための渡米は、

1974年4月15日〜29日の2週間でした。

よくスケジュールが取れたものです。

今から40年前のまだ、1ドル固定で300円だった頃

(ずっと360円でしたよね・・笑・・)

アメリカはテレビの、そのまた向こうの世界でした。

夢のハワイって言葉があり、外国旅行なんてとてつもない時代でした。

そんな頃にロスアンジェルスはハリウッドでのレコーディング!!

「なぜアメリカまで来て、レコーディングするのか?」と

参加ミュージシャンに聞かれた時代。

アメリカ人から見たら、

日本の音楽は???・・???な時代だったんでしょう。

キャニオンのディレクターが渡辺有三氏であったこと、

音楽普及に力を入れていた故川上源一理事長のヤマハ音楽振興会に

身をおいていたこと、

ご褒美という意味合いもあったこと、

高木麻早をシンガーにという気持ちもあったこと、

当時キャニオンと並んで

ビデオにいち早く参入していたポニーという会社があり、

ミュージシャンをコーディネート出来るトム佐伯氏がロス在住だったこと、

などなど条件は揃っていたからこその実現だったと思います。

だから、

私はちゃんと向こうでユニオンに入ってのレコーディングでした。

つまり、

ちゃんとお仕事したってことですから、私も確か、報酬を頂きました(笑)

海外録音も今でこそという感はありますが、

ワーナーブラザーススタジオは、スタジオの中にバスケットゴールがあり、

それだけでもうびっくり〜!

ミキサーの日系3世のボビーさんが日産のZに乗っていらして、いたく感激〜!

ボビーさんは、歌録りの時に、いろんなアイディアを出しながら、

曲によって、声の録り方を変えるんです。

高木麻早の良いところをすかさず把握して・・・

ミックスダウンは、良すぎて!もう本当にダウン寸前でした。

アレンジは見当もつかないということで、

スタジオで実際の音を聴いてから書くと萩田さん。。。

これもすごい!

リズム隊から私は一緒に歌って「こんな歌です」で録る方式は日本と同じで〜

萩田さんはこの時点でアレンジスタート!

でも、実は譜面に弱い、読めないミュージシャンもいらして、

日本のスタジオミュージシャンでは考えられないことでびっくり。。。

ところが、

まるで萩田さんが書いたかのようなメロディーがアドリブでホイホイ!!

みんなこれに一番、驚きました。

アメリカを感じました。

まだ日本ではミュージシャンクレジットなどない時代・・

萩田さんが作曲して下さった「恋時計」

ドラムのHAL BLAINE氏に「Be my babyみたいに叩いてほしい」と

萩田さんお願いしたら、

「それは僕がやったんだあ〜」

また、

カーペンターズで大ヒットしていたアルバム「NOW AND THEN」を

例に出したら、

「あれも僕がやったんだよ〜」

もうみんな「ひえ〜〜〜!!」

その後、ジョンデンバー日本公演にサポートでいらして、

「MASAに会いたい」とおっしゃって下さったのに、

実現出来なかったことが、本当に悔しい〜・・・

ジョンデンバー氏もアルバム「高木麻早」を聴いて

同じ気持ちでいらして下さったようでした。

あ〜〜本当に残念・・・

映画「プレスリーオンステージ」で見たギターのJAMES BURTON氏

格好良い〜!

ギターのフレーズはすべてアドリブです。

ベースもキーボードもこれがまたすごい方々〜!!

だから、

私がリズム隊とのレコーディング開始を待っているときに、

ちょっと口ずさんだロバータフラックの「やさしく歌って」

マイクから聴いてて・・キーボードが入り、ベース、ギター、ドラム・・・

いつの間にか、みんなのバックで歌っていました。

これぞ「音楽に国境はない!!」

感激感動で、涙が出そうでした。

コーラスもまたアニタ・カーシンガーズという面々・・・・

ストリングスに日本からの留学生の方が入っていて、

「内緒にしてください」って懇願あり(笑)

テレビの取材もありました。確か・・菊放送??とか何とか・・・

とにかく、あの時代に、

信じられないくらいの本当に素晴らしい経験をさせて頂けたことに

心から感謝しています。

本物は人間も本物!

最後にもうすこし裏話・・・

当時めちゃめちゃなスケジュールの中、

「時間がないから作詞は向こうで〜」と言うことで、

「ビートセブン」はレコーディングと同時進行で作った、

いわばアメリカ生まれの詞。

ジャケット写真はキャロルキングを撮ったTOMさん。

日本の美を「麻呂」と表現して、

良い顔をすると「MARO〜MARO〜」と叫んでいました(笑)

撮影現場は、パラマウント映画社。広大でした!!

確か、「トラ、トラ、トラ」の撮影現場を見たような・・・

しかし・・・

ディスニーランドとリッキーネルソンライブと少しのお散歩以外は・・・

ホテルの窓から見るアメリカが一番多かった麻早さん・・(>_<)

スタッフはいろんなアメリカを知ったようだけど〜〜ぉ・・・(^_^;)

まだまだお話したいことはありますが、長くなったのでこの辺で・・・

このアルバム、私のお気に入りです!







12月10日(水)

★またミッケ〜!!



母がデビューからしばらくの間、

スクラップしてくれてた私のチラシや切り抜きをミッケ〜(*_*)


当時歌謡曲かポピュラーしかくくりがなくて、

私のアルバムはポピュラー(@_@)


売上げのランクでクラプトンやボブディランと一緒のくくりです(笑)


すごい時代のすごいものを発見しました。


携帯も無い時代に、父は反対してましたし、

母はこれを作りながら、繰り返し読みながら、

私を感じて淋しさを紛らわせていたんだと…思います。

私のアルバムに赤い線が引いてありました。


心から感謝ですm(_ _)m







11月28日(金)

★Nagoya night 11.28



山崎ハコ40周年ライブwith安田裕美


「懺悔の値打ちもない」鳥肌もの〜!

「空の舟」も好き〜


安田さんにサポートして頂いたことからのご縁・・・

まだ、新婚さんのお二人でした!


ハコちゃんって楽屋でもステージでもよくしゃべります。

面白いです。

しっかりしています。












11月27日(木)

★Nagoya night 11.27



日野皓正クインテット2014


今年もおめに掛かれて光栄です。

益々お若い!









             自撮り中〜




11月22日(土)

★東京番外編



関係ない写真の掲載はあまり好まないのですけれど…(^^;)


姫の頼んだケーキが作り物!?ってくらいあまりに可愛かったので…

親バカでごめんなさい(^^;;







11月12日(水)

★ミッケ〜!!



東京郵便貯金会館大ホール。指定席1500円、自由席1300円だったんですね。


ちなみに、

この写真は1974年11月17日第5回世界歌謡祭ゲスト出演の時のものです。

グランプリは「いつのまにか君は」浜田良美さんでした。

と言うことは・・・

このリサイタルは1975年の3月28日だった?と推測出来ますね。







10月31日(金)

★高木麻早『レコードを語る Vol.5』



2ndアルバム「麻早」1974年5月発売


モノクロのジャケット。

これはデビュー前、高校生の高木麻早の写真。

「アグネスチャンみたい〜」って言われた写真。

なぜこれを使用したのか、

どういう経緯でこの写真を??

私にはわかりません(笑)

ギターも私のものじゃないんです(笑)

ヤマハの名古屋支店で・・何かで撮ったような・・・気もしています。。。

1974年の5月リリース・・・撮影の時間がなかったのかな?

結果、「コーラが少し」がシングルになりましたが、

有三さんは、どれだと考えていらしたのか・・・と、ふと思ったりしました。

「花ふぶき」無い物ねだりで、この曲は特にお気に入りです。

「明日に向かって」この頃セットリストには必ず入っていました。

「いもうと」のアレンジは古い教室に残っている足踏みオルガンと決めて探し、

ハネケンさんが演奏下さいましたが、

音の立ち上がりが遅くて、かなり苦労なさっていました(笑)

「あなたに捧げる私の歌」これ・・今度・・歌ってみようかなぁ・・







10月20日(月)

★ブルーノート



ありがとうございましたm(_ _)m

本当にありがとうございましたm(_ _)m


最後は泣けそうでした。。。


今は言葉に出来ないです。

やりたかったことが皆さまに届けられたことに、

ただ、ただ、感謝です。


そして、

倫典さんにいま、出会えたことが。。。

梅垣さんがご理解してくださったことが。。。

マークさんのお力添えが。。。

高木麻早はすごく嬉しかったです。


しばらく休憩したら、

これからのことを考えます!


歌うことが楽しくなりました。

もう一度、心から感謝申し上げますm(_ _)m






                 「やったぁ〜!」




10月17日(金)

★いざ出陣!



打ち合わせランチ終わって、後は本番!

幽霊みたいに写っているのは、

サンデーフォーク高木麻早担当早川氏です。

以後よろしゅ〜うに<(_ _)>







10月11日(土)

★Nagoya night 10.10



河合さんのTriBarrelライブで飛び入りで歌っちゃいました(^^ゞ







10月08日(水)

★ありがとうございました!!



念願の倫典さんとのコラボ。

コーラスもやって頂ける梅垣さんと3人のアコースティックライブ。

清々しく終わることが出来て、

本当に皆様に感謝申し上げますm(_ _)m


若い時にしか出来ないこともありますが、今だから出来る、

今だからわかる音の世界はあるのだと痛感致しました。


いらしてくださった皆様、また応援下さいました方々、

そして、私の願いを叶えて下さった倫典さんと梅垣さんに

心から感謝申し上げますm(_ _)m


さぁ〜次は18日名古屋ブルーノート!







10月05日(日)

★Nagoya night 10.4



名古屋BLUENOTEに鈴木康博さん。

天むす差し入れました。







09月29日(月)

★Nagoya night 9.28



正樹さん&春名さん&太郎ちゃん参加バンド

Da・pinchのライブに来ました。










09月18日(木)

★TRM



ワクワクドキドキの2日間のリハが始まりました。

ミュージックではなく音楽を‥‥

皆様にお届け出来るように‥‥

原点回帰!







09月17日(水)

★16歳の明子ちゃんと19歳の麻早ちゃん



六本木で40年?ぶりの再会。

たくさんおしゃべりしました(*^_^*)

あっこちゃんの人柄や真摯に音楽に向き合う気持ちは

全く変わっていませんでした。

23日のライブ、超楽しみ〜!







08月23日(土)

★高木麻早『レコードを語る Vol.4』



3rdシングル「コーラが少し」1974年3月25日発売


高木麻早が書いた作品だと思っていらっしゃる方が

ほとんどではないでしょうか?

実は、私が見つけた作品なんです。

出会った経緯をお話します。

地元名古屋にある中部日本放送(CBC)の佐野喜多夫ディレクターから

仕事でおめに掛かった際、

「麻早ちゃん、聞いてみる?」という事で、録音テープをお借りしました。

それには山名敏晴さんという名古屋在住のシンガーソングライターの方の

オリジナル作品が何曲か入っていました。

泉谷しげるさん風の作品ばかりで、正直、う〜む?と聴いていましたが、

なぜ佐野さんが聞いてみる?とおっしゃったか・・わかりました。

「コーラが少し」

私は「これが好き!歌いたい!!」とすぐ思いました。

早速、佐野ディレクターにお願いして、山名敏晴さんに伺って頂き、

承諾を頂けました。

次はレコーディングの予定があった2ndアルバム「麻早」に

入れて頂けないか?と、梅垣さんや有三さんにお願いしました。

アルバムなら・・というリアクションでしたが、

私はとても嬉しかったことをはっきり覚えています。

「麻早」を録り終えて、しばらく時間があり・・・

さあ、この中からシングルを決めようという時になり、

作品のすべてを聴き終わったとき、

お二人は言いました。

「コーラが少し、良いね〜!!」

地味な曲調でしたから、ヒットするかどうか・・

そんな感じもあった時代だったのでしょう。

「コーラが少し」がリリースされてオリコンに最初に掲載される頃、

私たちはレコーディングのためにロスアンジェルスのスタジオにいましたが、

初登場何位なのか?とスタッフは気にしていたらしく、

国際電話をして、キャニオンに聞いて安堵していたことを覚えています。


こうして高木麻早が見つけた歌は世の中に出て行きました。

「コーラが少し」は高木麻早が書いた作品と思って頂いている・・・

こんな最高の賛美を頂けて、私は心から・・心から・・喜んでいます。



追伸

この文章を書き終えたら、すごいタイミングで、

当時キャニオンの名古屋営業所にいらした寺崎文彦さんから連絡あり!

そうそう・・ピンク色のポニーカー乗りましたね〜(笑)

懐かしい〜

いろんなご縁で繋がりました。

寺崎さ〜ん!来年はキャニオンOB会に出ますぅ〜!!







08月23日(日)

★誰が弾いてる?このベース「想い出が多すぎて」



YOU TUBEにこんなタイトルを発見しました。

この疑問は書かれてあったこんな内容でわかりました。

「アマチュアバンドがこの曲をコピーしようとすると、

ベーシストが反対するという。」

なるほど!

今でこそミュージシャンのクレジットがありますが、

私がデビューした頃はまだない時代。。。

どこにも書かれていないからわからないんですよね。

ですが、私はレコーディングのとき、しっかり拝見しました!


答えは、江藤勲さんです。





08月14日(木)

★幻のジャケット写真








08月06日(水)

★譜面写真発見!



「想い出が多すぎて」の当時のバンド譜面です。





08月03日(日)

★高木麻早『レコードを語る Vol.3』追伸



今でこそ当たり前ですが、

当時、アルバムを出すということは、

シングルがヒットしていることが条件の時代で、

ヒット曲を集めてベストヒットとしてのアルバム(LPと言っていました)を

出すのが普通でした。売れないからです。


でも、当時キャニオンのプロデューサーだった故渡邉有三氏は、

ヤマハのディレクターだった梅垣達志氏と

「高木麻早は洋楽のように、アルバムシンガーにする」

という方向性を打ち出して下さり、

新人でデビューして1ヶ月後にアルバム発売という

当時としては前代未聞のリリースでした。

ですから、シングルありきではなく、アルバムを聴いて頂く最大の目的で、

1stアルバム「高木麻早」は「想い出が多すぎて」をフューチャーしたと

言うことです。

だから、当然、

最初から「想い出が多すぎて」をシングルにするとは

考えていなかったようです。

その後、シングルはまず

アルバムのレコーディングが終わってから決める方向(例えば、コーラが少し)

ないしは、アルバムとシングルは別に考えるという方向になって行きました。


余談ですが、

井上陽水さんのアルバム「氷の世界」確か100万枚!

この時代にすごい!なんてもんじゃなかった!ってことです。


さて、

高木麻早をシンガーとして認めて下さった渡邉有三氏とは、

今年1月にお亡くなりになるまでず〜っと家族ぐるみで

お付き合いさせて頂いていました。

また、

梅垣達志氏には初アコースティックライブをサポートして頂くことになりました。

デビューから40年経って・・・

冗談大好きだった有三さんは、あの笑顔で

「へ〜ぇ!麻早ちゃん、梅垣さんとやるのぉ〜?

じゃ僕はベースやろうかな〜」って・・言ってるかな。





08月02日(土)

★高木麻早『レコードを語る Vol.3』



2ndシングル「想い出が多すぎて」


これは当初シングルになる予定はありませんでした。

ところが、当時のキャニオンレコード営業から「シングルカットしてほしい」

という強い要望でリリースすることに急遽なりました。

どうやら全国のレコード店からの要望だったようです。

それで、ジャケット写真は新宿御苑、今だから言える話ですが、

ここでの撮影は禁止(今もだったら内緒に・・笑・・)

笑って写っていますが、ドキドキで警備の方が歩いて来るたびに中止。。。

結構この場所での撮影はあったらしく、見回りがあったんです。

いなくなると撮影、「来た!」でみんな隠れるって繰り返し(笑)

なぜ隠れるか?って?

だって1月リリースで冬の格好していますが、

撮影している時はまだ残暑の頃・・・

そんな格好していたら撮影以外には考えられない(笑)


高木麻早唯一の名曲でしょう。


当時なかなかレコード会社として苦戦していたキャニオンの営業会議で

「高木麻早にキャニオンの明日が見える」とおっしゃって頂いたと聞き、感激!

20歳の小娘の私でしたが「この方たちのためにも頑張ろう」って思いました。

一緒にプロモートして歩いたあの頃の営業マンの方たちに

おめに掛かりたいものです。


ちなみにキャニオンレコードは現在はポニーキャニオンです。

キャニオンレコードとビデオの会社ポニーがあり、その後二社が一緒になって

ポニーキャニオンになりました。

そうそう・・

キャニオンレコードはこの頃、浜松町世界貿易センタービルの

ワンフロアーが会社でした。

所属する財団法人ヤマハ音楽振興会も恵比寿駅前のスヤマビルの中に

入っていました。

そんなところから始まったんです。







07月26日(土)

★Nagoya night 7.25



岡崎倫典さんと飲んで?食べていっぱいおしゃべりしました。





07月20日(日)

★コンサートの写真



昭和50年、鳥取でのコンサートの写真をファンの方から頂きました。





07月10日(木)

★旧友2人と奈良旅行 7.9



学生デビューした私はこんな旅行もしたことがなかったので、
嬉しくて、前夜はほとんど眠れませんでした。
やっほ〜!


nara1.jpg

nara2.jpg

「鹿も雨宿りするんですね〜・・」



07月06日(日)

★アーティスト写真



近藤直弥さんに写真撮影をして頂きました。
名古屋市内のスタジオで・・・






06月29日(日)

★Nagoya night 6.28



河合徹三さん&島村英二さんといぇ〜い!





06月25日(水)

★高木麻早『レコードを語る Vol.2』



ファーストアルバム「高木麻早」


1973年10月10日発売

このアルバムが出来上がったとき、感激しました。

絵のように部屋に飾っておけるジャケット。

都内の空き家で、真っ白な、

まるでアメリカにでもあるような一軒家で撮影しました。

TシャツはKENZO 懐かしい〜

手首にしているブレスレットは、

デビューのきっかけになった第5回ポプコン本選会で最優秀歌唱賞を頂き、

それでインドネシア音楽祭ゲスト出演という機会を与えて頂いて、

ジャカルタに行った際、頂いた賞金で記念にと、買い求めたものです。


「想い出が多すぎて」をフューチャーしたアルバム。

アレンジの素晴らしさに感激!ほとんど萩田光雄氏。

とても気持ち良く歌えてほとんど一発オッケーだったと記憶しています。

ただ、「想い出が多すぎて」は16ビート。当時としては斬新すぎ。

ノリが難しくて、戸惑ったことを覚えています。

「愛することを知ったから」の間奏に

「想い出が多すぎて」のメロディーを使っていること・・

お気づきになった方、いらっしゃいますか?

萩田氏の裏技です!

「シーハイル」は萩田氏が「海にはいるってことかと思った」って話は

本当だったでしょうか(笑)

ストリングスの駆け下りるフレーズ・・確かに波の感じが・・・

しないでもないです(笑)

「風が吹いてくれば」は福井崚氏のアレンジ。

ストリングスを中心に、映画音楽みたいで、壮大で、

私の心には確かに風が吹いていました。

でも、ストリングスで歌うことはとても難しかったです。

また、ピアノの今は亡き羽田健太郎氏はレコーディングのたびに、

ご自身の面白いお話をして下さり、とても楽しかったです。

このアルバムでこの年のオリコン新人賞をフィンガー5と一緒に頂きました。

その年一番売れた新人ひとりに与えられる賞ですから、高木麻早は異例です。

それだけこの「高木麻早」が多くの方からご支持頂けた結果で、

この意味と価値の重さはその当時より今の方がよくわかります。

みなさまの思い出をまた、お聞かせください。







06月12日(木)

★高木麻早『レコードを語る Vol.1』



シングル「ひとりぼっちの部屋」


1973年9月10日発売 デビュー作

この年はオイルショック。

トイレットペーパー買い占めに殺到する人たちのニュースに、

これからどうなるんだろう・・・と怖かった記憶。

自主規制と言うことだったのか、

見開き(ダブル)ジャケットがシングルになることに。

「ひとりぼっちの部屋」とファーストアルバム「高木麻早」の初版盤が、

なんと最後の見開きジャケットになると聞かされました。

この時代はスタイリストもいなくて、自前の衣装を名古屋からいっぱい持参。

みんながイメージしていたTシャツにジーパンは持っていなくて、

宣伝マンとディレクター渡邉有三氏が急いで買いに行って、

この写真になりました。

裏の衣装は自前です。

このジャケット、私は好きです。


萩田光雄氏アレンジャーデビュー作







06月07日(土)

★デビュー40年



何十年も使っていなくて、「眠れる部屋の飾り」になっていたギター。

ケースを開けるとき、「キノコが生えていたらどうしよう・・」

何と!キノコは発見出来ませんでしたが(笑)良い色になっていました。

「豚に真珠」・・・

メンテナンスに出した際、1973年製と聞き、私と同じ歴史だと感激〜!

5日のさくらホールでこのギターも参加。

大事にしなきゃ〜!







05月08日(木)

★高木麻早2014



ご来場くださった皆様、

本当にありがとうございました。

ゴールデンウィーク真っ只中でいろんなご予定があったかも知れず・・・

またご遠方からお越しくださった方もいらっしゃり、

心から感謝申し上げます。

今日、名古屋に戻りました。

一言で言うなら、ホッとしました。

やり切ったと言う気持ちです。

いろんな言葉が頭の中で回っていますが、

この気持ちを表す言葉が見つかりません。

40年という月日、私も含めて皆様いろいろな事があり、

さまざまな人生だったと思いますが、

5月5日は同じ空間で、同じ日になりました。

本当にありがとうございましたm(_ _)m

高木麻早はこれからです!

今後ともよろしくお願い申し上げます。






03月23日(日)

★みんなでニッポン日曜日



仲良し中村こずえさんの生番組に出演して来ました。

楽しかったです!







03月16日(日)

★イルカのミュージックハーモニー



久々も久々にイルカさんにおめに掛かりました。

23年も続いているニッポン放送のイルカさんの番組に出して頂きました。

何もお変わりなくて、びっくり!

そして、

岡崎倫典さんの素晴らしいアコギで「ひとりぼっちの部屋」を歌いました。

倫典さんとライブをした〜い〜〜!!







02月24日(月)

★子供の日のコンサート



東京〜名古屋行ったり来たりで、ちょっと忙しくしていました。

その間に、さくらホールでのコンサートが決定しました!!

嬉しくて嬉しくてばんざ〜いです。

高木麻早ファンの気持ちがたくさん集まって、実現することが出来ました。

心から感謝です。

このコンサートスタッフも

高木麻早をずっと見つめて下さっていた方たちばかりです。

老体に打つムチに油を注して、しっかり研がなきゃ〜!

正直、

一日ごとに嬉しい分だけ責任とプレッシャーに変わって行きます。

でも、これでなきゃ〜高木麻早じゃありません。(笑)

日帰りが出来るような時間設定です。

みなさま、是非!いらしてください。

お待ちしております。

よろしくお願い致します。






02月04日(火)

★雪にもマケズ…



姫のバースディーにディズニーシーに来ました。

ディズニーリゾートって入り口から何でこんなにテンションが上がるんでしょう。

雨にもマケズ…寒さにもマケズ…年にもマケズ…

雪になってもマケズ…

楽しみま〜す!










01月09日(木)

★渡邉有三氏逝去



1973年9月10日

有三さんが24歳、高木麻早が19歳…

「ひとりぼっちの部屋」がこの世に生まれました。


私が歌から家庭に入った後も、ご家族ぐるみでお付き合い頂いていたので、

40年…

なんてことでしょう…デビュー40年の年に有三さんは逝ってしまいました。


当時、キャニオンレコードのディレクターで、初めておめに掛かった時、

名古屋は名鉄ホールで、

中学一年生だった私が観た加山雄三とザ・ランチャーズの

あのベーシストの有三さんだ!と私はこのご縁に感謝したものです。


いろんなことがあり、たくさんの思い出があり、

悲しくて…さびしくて…仕方がありませんが、

すべて大事に心の中にしまっておきます。


有三さんはとにかくいつも笑顔!

強がりまでおしゃれな紳士でした。


本当にありがとうございました。


心からご冥福をお祈り申し上げます。





      ザ・ランチャーズ「真冬の帰り道」




01月01日(水)

★迎春



あけまして

おめでとうございます。


皆様と今年もハッピーな一年でありますように!


平成26年 元旦







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